当社の近くに、府領の塚畑があります。15坪程の塚で、首塚とも呼ばれています。
今から400年前の戦後時代、阿蘇、益城、宇土
を治めていた阿蘇氏と、
薩摩を治めていた島津氏は、領土をめぐり
戦っていました。
1565年、隈庄城主甲斐守昌は、島津氏と手を
組み阿蘇氏に反旗を翻しました。謀反でしょうか。
舞原の合戦だそうです。
戦いでどちらかの者かわからない、なきがらが
府領のこの地に埋葬され、死者を悼んだそうです。
府領の首塚とも呼ばれているみたいですね。
思いやりでしょうか。
歩いていると、色々勉強させられますね。